正忍記について

徳川御三家紀州藩に伝わる軍学三家のひとつ「名取流」。
その中興の祖として知られる名取三十郎正澄が延宝9年に記した「正忍記」は、日本における忍術研究の最初より貴重な資料として研究されてきました。
正澄の記した原本は現在見つかっておりませんが、その嫡男である青竜軒(名取兵左衛門)による写本(青竜軒本)が国立国会図書館に所蔵されています。

我々現代人が抱く忍者のイメージとは全く違う、現実的であり実践的な忍びの姿が正忍記には記されています。
そして、そこには現代とも通じる江戸時代の見かけ安泰な世の中で行われていた、情報戦を生き抜くための智恵が詰まっています。

かたや正忍記記載の具体的な忍術「七方出(変装術)」においては、我々が目にする時代劇や映画に出てくるイメージ通りの忍者が行う忍術の元ネタになっている物もあります。

深く、そして当たり前のように我々の中に浸透している忍術と、我々の全く知り得なかった生の忍術が混在している伝書、この書物への興味は尽きません。

※正忍記が書かれた延宝9年より3年後の 貞享元年に、名取家菩提寺恵運寺の眼前にて徳川吉宗が生を受けています。八代将軍となった吉宗が諸藩の情勢を探るべく設けた「御庭番」、その創設に少なからず影響を与えたのは「正忍記」ではないかとの指摘をする研究者や関連書籍がありますが、いまだ煙に巻かれたままです。

 

<<正忍記の極意>> ※正忍記を読む会メンバーの名刺裏書き解説はこちら

・《忍者の「覚悟」》 正忍記・一流之次第ヨリ
 (原文) 名人も家を出る時は恩愛の妻子に分かれん事を思い 帰りてハふしぎに命をのがれたらん事を悦ぶ されば文字さえや 刃に心を置きたるの形あり
 (現代語訳)名人と言われるほどの術者でも、家を出 る時は愛しい家族に別れを告げ、帰ってくる事など考えず家を出る。帰ってこられた ら不思議なほどで、命ある事に感謝する。そのような術者の覚悟は「忍」という字に現れている。刃に心を置いているが如く「我」を滅するのである。

・《忍者の「信念」》 正忍記・心之納 理ニ當ル事ヨリ
 (原文) 凡そ心を安んずる時は人の知らざる所を能く察し、及ばざる所を能くはかる こらえ難き所を堪忍し、進むべき所にさえぎるは、是皆情分の強きが故なり
 (現代語訳)心が落ち着き強い信念を持っている時には、人とは違う解決策に気づき、不可能と 思われるような事もできてしまう。堪えるべき所を堪え、信念を強く持ち精神力を養う事が、困難に直面しても動じない心となる

・《忍術「駆け車」》 正忍記・人ニ理を盡さする習之事ヨリ
 (原文)能く忍びえたるものは、見分けは随分うつけたる躰なりと云。ただ、人に車をかけると云て、よくのせて、何事に寄らず常にたかぶらせ置く事、法なり
 (現代語訳)忍術の達人は間抜けを装う。利口ぶってはならない。人は皆自分を賢く見せたがる ものであるから、持ち上げれば持ち上げる ほど調子に乗って話をする。高揚した調子 で話す者は、必ず隠し事をばらしてしまう。 走り出して止まれない車のように、堰を切って話をさせる術なり。

                 編集・現代語訳 /正忍記を読む会 山本寿法


日本三大忍術伝書

書       名 著    者 年  代
忍秘伝(にんぴでん、しのびひでん) 服部半蔵正成
岡山藩の伊賀者とする説有り
永禄3年
1560
萬川集海(まんせんしゅうかい、ばんせんしゅうかい) 藤林保武 延宝4年
1676
正忍記(しょうにんき、せいにんき) 名取三十郎正澄
(正武、籐一水)
延宝9年
1681

名取流について



名取流の系譜

流 祖 :名取與市之丞正俊 甲州武田家、山本勘助、信州真田家との関わり有り
二 代 :名取彌次右衞門正豊
中 興 :名取三十郎正澄(正武) 彌次右衞門正豊四男 生国紀伊
      号<一水、籐 一水>
   承応3年5月 新規召出 中小姓から御所院番、御近習詰、大御番へと転役。
   <資料番号10486による転役記録>
   承応3年5月 新規召出 中小姓
   万治3年5月 大小姓 切米30石
   延宝7年9月1日 御近習
   貞享2年8月23日 大番組
   貞享4年8月22日 伊都郡大野村へ扶持を受けながら蟄居
   宝永5年3月15日 病没
   戒 名 : 窮源院滴岩了水居士 

著書多数にて、紀伊藩主特に初代徳川頼宣公の覚えがよかった。
著書の中に日本三大忍術伝書の一つ「正忍記」がある。

名取三十郎は、たびたび頼宣公の下へ出向き、軍学指南を行った。頼宣公をして「名取流の軍学書は人主たる者の座側において、折々看読すべき」と言わしめた。
また、名取流は新楠流とも呼ばれる。
楠流(楠不伝)の流れを汲んではいる名取流ではあるが、その意のみならず、軍術の全てを網羅し大変優れていることから、楠公の世に対する功訓に相当するものとしてこの名前がつけられたというのは、名取流がいかに優れた軍学流派であるのかを表すのに特筆すべき事である。


参考文献
南紀徳川史、姓氏家系大辞典、名取流軍学伝書、和歌山県史人物編、紀州家中系譜並に親類書書上げ目録、名取兵左衛門系譜(資料番号10486)、伊賀・甲賀忍びのすべて、歴史読本忍びの戦国史、忍者の教科書・新萬川集海 、恵運寺過去帳。